ヨーコの人生物語
ヨーコの人生物語を読みにきてくださり、ありがとうございます。
はじめましての方のために、簡単に自己紹介をしたいと思います。
ヨーコの自己紹介
魂の喜びに
満たされて生きる人で
地球をいっぱいにしたい
そんな願いを胸に、あなたの内なるエネルギーを循環させ、すでにある魅力を120%発揮するお手伝いをしています。
★ ヨガ・瞑想
★ “魂のありのまま”がわかる♡直感星読
★ 魂の喜びにつながりなおす〜魅力発掘セッション
これらはどれも、
じぶんを幸せの中心において
ぴったりの心地よさで
満たされて生きていきたい
そんなあなたのために生まれました。
そして、もちろん、わたし自身がそう在りたいとずっと願って、実践してきたことでもあります。
思えば、幼い頃からずっと、本当の願いに向かって、ありのままに生きることを求めていました。
けれど実際は、とても恥ずかしがり屋で、自信がなくて、自分を表現することが苦手で、、、。
いつの間にか、他人を幸せの中心においていて、わたしの内側はバランスを崩してしまったのです。
暗闇のトンネルの中を、出口を求めて手探りで歩きだしたところから、わたしの本当の人生がはじまったように感じています。
ヨーコの変化の実績
改めて、これまでの人生を振り返ると、わたしの人生の目的は、『調和へ向けて変化すること』なのだと気づかされます。
じぶんを幸せの中心におくために、様々な変化を起こしてきましたが、どんなことにチャレンジしてきたかを振り返ってみましょう。
★ 「NO」を言えない → 目下練習中ですが、今はどんな場面ではっきり言わないといけないか意識化できています。
★ 人前で表現・話すことが苦手 → すでに人前で教えています。
★ 自分に自信が全くない → それでも笑って生きてます。
★ 人から見られることが怖い→ 10年間、モデルやってました。
★ 演技も踊りもセンスがない → パフォーマンス劇団員でそれなりに楽しくやってました。
★ 化学物質過敏症 → 玄米・豆腐・青汁のみの食事法で改善。
★ わたしの才能ってなんだろう? → 息するように自然にやっていることが仕事になりました。
これらはほんの一部ですが、繰り返し、これを無限ループしながら生きているような気がします。
変わりたい → 手を伸ばす → チャンスを掴む
→ 経験する → 叶う → 次のステージへ
社会ともじぶんとも調和するために、「できないこと」を「できる」ようになりたいと求める気持ちが素直に行動に現れたとき、不思議と願いが叶い、経験させてもらえるチャンスが与えられてきたように思います。
ヨーコの特性を表す星のつながり
少しマニアックな話になりますが、わたしが生まれたときの天体の配置をみると、天王星と火星が120度でつながっています。
120度という角度は、「幸せの循環」を生む角度。この角度を持つ星のテーマでうまく循環が起こると、幸せが拡大すると言われています。
そして、
天王星は「根本からの変容」「宇宙の想いをかたちにする」「社会や物事をより良くしようと変革する」目的を持ち、
火星は「行動力」「内から湧き上がる想い」「挑戦」「活力」といった機能を持ちます。
つまり、「今よりもっと成長したい!より良くしたい!」という想いが、わたしの情熱や行動力の源泉になっているということです。
なんだか、そのまんま、その通りに素直に生きてきたんだな~と、我ながら感心します。
この章では、そんなわたしが、これまで、どんなことを考え、大切にしながら歩んできたかをご紹介します。
ヨガをはじめたきっかけ
子どもの頃から体を動かすことが大好きで、嫌なことは寝たら忘れるシンプルな子どもでした。大人になるにつれて体を動かす機会が減ると、疲れやストレスを解消しきれず、バランスを崩しやすくなる一方。
『なんだか、人生が生きにくい』
と感じていたときに、独学ではじめたのがヨガでした。
ヨガは、いつでもどこでも、身ひとつでできます。そのシンプルな身軽さが、わたしにとって一番の魅力でした。
それに、ヨガは、自分の中心に戻る感覚をもたらしてくれます。
体へのセルフケアだけでなく、心のケアにも役に立ちます。どんなメカニズムなのか、当時はわかりませんでしたが、運動するとスッキリして嫌なことを忘れられるというのと、似ています。
わたしは、ずっと、運動することで、自然にセルフメンテナンスをしながら成長してきたのでしょう。人並みに、嫌なことや、悩みはありましたが、長く気にしたり、落ち込むことは、あまりなかったように思います。
そうは言っても、大人になると状況は違いました。
これまで、大抵のことはひとりで解決してこられたけれど、もっと広い環境で、価値観や背景の異なる、様々な人々と交流していると、一筋縄では行かないことが多々あります。
「笑顔でいれば、相手を受け入れて、自分が頑張れば、どんなことでもうまくいくはず。前向きでいよう。ポジティブでいることが、いいことなんだ。」
そんな風に思い込んで、いつでも “YES” で対応しているうちに、現実はそんなに甘くないということを、身をもって経験することになりました。
★ 嫌なことに “NO” を言えない。
★ 断り方がわからない。
★ 相手を傷つけてしまうんじゃないか。
★ 相手を理解できていないんじゃないか。
★ 自分勝手なんじゃないだろうか。
そんな思いに、押しつぶされて、
何が正しくて、何が間違っているのか?
いつも正解を探し求めていました。
じぶんらしく
自由に開放感に満ちて
生きていたい。
そんな願いを、ずっと持っていたはずなのに、
★ じぶんを大切にするって どういうこと?
★ じぶんのために生きるって どうすればいいの?
考えれば考えるほど、途方もなく難しく感じられて、頭が真っ白になるのでした。
ちょうどその頃からです。力が湧かなくなりました。
やりたいことを見つけたら
情熱に従って
矢を放ったように
ピューーっと飛んでいき
さらっと体験して
笑って帰ってくる。
そんな持ち前の潔さが、全く発揮できなくなったのです。
わたしは、何年もの間、本当はどうしたいかを知っているはずなのに、それを受け止めず、じぶんの想いより他人の想いを優先し、周りに合わせる選択をずっとしていました。
そうしている内に、何を望んでいるのかさえ見失うほど感覚が麻痺して、じぶんの本音が見えなくなっていきました。
そのせいで、失敗や後悔をすることが多々ありました。
けれど、結局のところ、直感を信じきれず、周りに振り回される生き方を許していたのは、自分自身でした。「NO」を言わずに生きてきた代償は、あまりにも大きいものです。
ついに、心も体も、動かなくなりました。
そこまできて、もうそんな生き方は終わりにしようと思ったのです。
思い込みはどこからきたのか?
わたしは、「人のために役に立たなければならない」という信念は、どこから来たのかを振り返りました。
最も記憶にあるのは、小学生の頃です。学校では、先生がよく「未来の社会を背負うのは君たちだ」と言っていました。わたしは、「社会をよくするために、みんなが幸せになるために、何ができるだろう?」と考えていました。
社会には多くの問題が点在していることが、幼いわたしにもわかりました。
特に関心があったのは、環境問題でした。自然が大好きだったので、破壊されていく森林や海の美しさを守りたい。そして、それは生き物の健康を守ることにもつながっていると感じていました。
自然も人間も
ありのままの美しい姿で
生かし合えたら。
それがわたしの願いでした。
すべてが調和した状態こそが、美しく、健康的であるという世界観が、わたしの中に芽生えていました。
世界をこの目で見る
高校生になる頃には、異文化交流に興味を持ちました。世界中の美しい文化に触れ、異国の人々と交流し、見たことのない世界を体験したいと憧れました。
同時に、世界には、発展途上国と先進国という分類があることを知りました。純粋に「経済格差」という言葉に違和感を感じました。その構造を作り、レッテルを貼っているのは誰なのか?と疑問を感じました。
貧困に苦しむ人々や、生まれた国によって人生が制限されることの理不尽さが引っ掛かりました。それは、家庭環境によって人生が左右されることを、身をもって実感していたからでもあります。
そこで、大学では、環境問題・国際問題の解決を目指す学部へ進学しました。長期休暇がある度に、アジア諸国へ足を運び、孤児院や身寄りのない母子のための就労支援施設、障害者支援施設を訪ね、現地の人々の暮らしを見学し、見聞を広めました。
合計7カ国(全11回)の旅で感じたことは、これは世界全体の構造的な問題であり、つくられた結果であるという違和感でした。そして、この問題を扱えるほどの力量は、わたしにはないと感じました。
旅から戻り、この無限にループする搾取の連鎖を断つために、わたしができることは何か?と自分に問いました。大学を卒業しても、答えは出ませんでしたが、静かに答えを待ちました。
答えを待つ間、わたしは思考をゼロに戻そうと思いました。全ての思い込みを捨て、他人からの期待を手放し、理想の生き方というレールを壊しました。何ヶ月かかろうと、誰に何を言われようと、わたしは内側からの答えを待ちました。
ひとつだけ明確だったことは、これからは「自分を生きる」ということでした。誰かのために生きることも素晴らしいことですが、わたしにとっては「自分を生きる」ことの方がリスクが高く、怖く感じます。
慣れないことに挑むから、きっと、時間がかかるし、失敗を繰り返すし、悪戦苦闘することはわかっています。だけど、乗り越えたい。その先に何が見えるのかわからないけれど、これがわたしの道だという確信がありました。
「表現」という欲求
大学卒業から3ヶ月ほど経った頃、「表現」というキーワードが浮かびました。幼い頃から、自分を表現することが苦手で、注目されることが好きではなかったので、積極的に前に出るタイプではありませんでした。
ただ、常に自然体で、自分らしくあることを大切にしているので、のびのびと自由に生きていて、なんでもできそうな印象を持たれることが多いのですが、実は、いざ人前に立つと、頭の中が真っ白になります。
わたしの内側には
何があるのだろう?
どんな形で表れるのだろう?
まずは、内側にあるものを外に出す練習ということで、バレエ、演劇、歌のレッスンに毎週通いました。どれも本来苦手で、完成度はボロボロでしたが、水を得た魚のように夢中になれて、仕事の疲れも吹っ飛ぶほどの爽快感がありました。
劇団員オーディション
その年の暮れ、ある劇団のチラシが目にとまり、妙に惹かれて観劇に行きました。そこで、団員募集のチラシを手にします。
悩みまくった末、決死の覚悟でオーディションを受け、見事、劇団員になりました。
そこでは、1年半の在籍中に、2回の地方公演と、一月半かけて3カ国を巡るヨーロッパ公演を経験し、充実の劇団員生活を過ごしました。
その劇団は、野外公演を主としており、広大な土地に数週間かけて舞台を設置し、去るときは釘一本残さず消えるという、独自の哲学を持つ、ロマンチックなアングラ劇団でした。
その思想や世界観に共感し、幻想的な芸術作品の一部になりたい想いひとつで団員になりましたが、海外公演から帰国した頃、「ずっとこのままでいいのだろうか?」という問いが内側から湧いてきました。
個で挑戦する
全体の一部から、個としての表現に挑戦したいと思ったわたしは、モデルへ転身しました。ファッションやメイクは得意ではなく、ほぼ着飾ることのないわたしでしたが、「素」の良さもいいよねと思ってもらえるなら、という気持ちで挑みました。
そこには、姿形ではない「ありのままの美しさ」や、美に基準などないことを、写真を通して伝えたいという想いがありました。
そんな崇高な表現ができたかどうかはわかりませんが、大手企業のCMや広告、沖縄や屋久島ロケなど、夢のような楽しい仕事を沢山させていただきました。モデルの仕事は、本当に楽しくて大好きでした。
被写体という経験をして興味深かったのは、心の状態が写真に写し出されるということです。だから、いかに自意識から解放されているかが大切です。
純粋に、作品の中の世界に存在する女性になり、そこで何を感じ、どう在るかを、ただ身をもって感じていれば、自然とうまくいきました。撮影中に、思考で考え過ぎるとガチガチになって空回りします。だから、とにかく楽しむ!が一番でした。
とはいえ、日常生活では、自分と向き合い過ぎて、苦しくなることもありました。
正解はないはずだと頭では分かっているのに、完璧じゃない部分ばかりに目が向いてしまい、それを埋め合わせようと努力して、無理をして。やればやるほど、本来の良さからかけ離れていくようでした。
なので、
✔︎ 考え過ぎないこと
✔︎ 心から楽しいと思うことに夢中でいること
✔︎ 魅力やよさが引き出される方向へ努力すること
が、気持ちよく長く続けられるコツだと思います。
ただ、幸福感に満たされるだけでいいのです。
それは、モデルという仕事に限らず、どこで何をしていても同じだと、改めて思います。
わたしは、不完全ながらも楽しくやっていましたが、もちろん、思い詰めて空回りしたこともあり、無駄に努力して消耗する経験もしました。
そんなとき、ありのままで自分らしくいたいと思っていたのに、いつの間にか、「何者かにならなければいけない」と思い込んでいた自分に気がつきました。
求められる「理想の姿」に近づかないと、と自分を追い立て、苦しめ、否定していました。それは自分がつくり上げた幻想なのに。
エネルギーを回復しよう
そこで、バランスを崩した自分を根本から整えようと、学びはじめたのがエネルギーワークでした。約2年間に渡る、東京通いのはじまりです。
わたしは、子どもの頃から「不調は自然治癒力で治すものだ」という信念をもっていました。
家族は皆、西洋医学の仕事に就いており、わたしひとりだけ東洋医学に関心をもっていたので、だいぶ変わり者だと思われていたことでしょう。
幼少期から、学校の行事で、教会や仏教に触れることが多かく、「祈り」が自然に身についていたので、目に見えない神秘的な存在を身近に感じていたせいかもしれません。
そこで学んだ宇宙の道理は、ずっと抱えていた葛藤を解いてくれるものでした。また、瞑想によって自身を整え、エネルギーを動かし、浄化して癒す方法や、透視技術を学びました。
そこで学んだ理論を、その後の人生で、経験を通して落とし込んでいくのですが、ゆっくり、順番に、段階を経ながら、浄化や学びが深まっていく実感があります。
わたしの場合は、劇的な変化が起こるというよりも、ベストなタイミングで起こる小さな変化の積み重ねで、少しずつ望む方向へ向かうようです。
一歩一歩ですが、瞬間ごとに感じることを味わい、試行錯誤しては試し、時には誰かに助けてもらって、恐れを乗り越えながら進みます。なので、あるとき、点が線で結ばれるということが起こったりします。
焦らず、丁寧に、自分を信じることを再確認しながら、自分のペースで生きているという感じです。経験しながら、納得しながら。それが、わたしのリズムかなと思っています。
ヨガを伝える人に
エネルギーワークを学んだわたしは、みんなの内にある「癒しの力」が機能するにはどうしたらいいか考えました。
また、当時、エネルギーワークは、まだ一般的に受け入れられていない印象があったので、わたしの伝えたい本質の部分を届けるにはどんな形が良いのかについても考えていました。
ふと、師がかつてヨガをやっていたことを思い出し、改めて、紐解いてみました。
すると、師から学んだ宇宙法則のほとんどが、ヨガの教えからきていることがわかったのです。普遍的な宇宙の道理が、経典の中に詰まっている。それならヨガを伝える中で、エネルギーワークを織り込んでいけるかもしれないと、直感的に確信を得ました。
実際にヨガを体験すると、そのものがエネルギーワークであり、エネルギーを整えることが主軸にあることがわかりました。
しかし、ここ15年ほど、欧米や日本を中心に普及している現代ヨガは、より肉体美やポーズにフォーカスしていて、精神性や瞑想といった繊細な部分に重きを置いたヨガを学べる機会は、少ないように感じました。
わたし自身、資格をとるためにヨガを学び始めたのは2010年で、現代ヨガブームの初~中期の頃でした。
今思うと驚きですが、カリキュラムでは、ポーズがメインで、呼吸法や哲学は、まるでおまけ程度でした。本来、呼吸法は、上級ポーズができること以上に重要ですが、残念ながら、それを理解したのは、何年も後のことです。
肉体的な鍛錬を積み重ねることは、大切なことです。固まって機能しない部位に息吹を送りこみ、機能を向上させることで、解放されるエネルギーがあることは確かです。
当時は、わたしも、肉体、精神、エネルギーが関連していることを実感しながら、ポーズの理解を深めるために邁進しました。
しかし、やはり物質レベルには限界がつきもので、わたしがヨガによって深めたいことは、肉体レベルのポーズの上達ではないということが明確になりました。
これは決して、肉体やポーズのことをするのを否定しているのではありません。
ただし、全体の調和やバランスについて理解した上で行わないと、偏った方向に向かう危険性があると、わたしは懸念しています。くれぐれも、他人と比べて競争したり、ポーズ至上主義に陥らないようにしましょう。
つまり、こういうことです。
ポーズの上達を目指すことが
ヨガの目的ではなく
あなたを構成する全て
(肉体・精神・エネルギー・宇宙)
がバランスよく調和し
現時点での
最高レベルの心地よさで
機能することが
わたしの目指す目的なのです。
柔軟性や筋力がないからといって落ち込まないでください。
ヨガは人生に活かすものであり、ヨガのために人生があるのではありません。頑張りすぎて、疲弊したり、怪我をするというのでは、本末転倒です。
それでも、やりたいのであれば、やればいいと思います。それはあなたが選択することです。
ただし、無理をすることは、逆効果でしかありません。
ひと度、全体の調和について理解できれば、ポーズだけでは得られない、もっと大きな恵みを受けとることができます。
なぜなら、どんな存在も、部分だけで機能するものではないからです。それは、この世のあらゆることに当てはまる、いわば普遍的な法則とも言えるでしょう。
恩師達との出会い
わたしが伝えたいヨガは、もちろん肉体レベルも含みますが、それだけではない、統合的なヨガです。
しかし、初めにわたしが学んだのは、肉体にフォーカスしたヨガでした。「それもいいけど、それではない」という葛藤を持ちながら、試行錯誤の日々でした。
また、肉体的に動けない人にとって、ヨガの効果や奥深さを体験できる方法についても悩みました。
わたしが学んできたヨガは、「動ける人のためのヨガ」だったので、プログラムのレベルを調整できたとしても、動けない人が置き去りにされるか、動ける人が満足感を得られないか、どちらかに偏ることがあり、自分の非力さに落ち込むことがありました。
わたしは、動ける・動けないに囚われない、普遍的なヨガの本質を伝えられる方法を心から求めていたのです。
そんな手探りを続ける中で、少しずつ出逢いが増えてきました。
生活に必要な身体機能維持を目的とするヨガを伝えるマリア・カースティン先生。癒しと回復のための休息のヨガを伝えるティアン・アラン先生。そして、ついに、わたしの理想としている、全てを統合したヨガを伝えるクリスティン・ウェーバー先生との出逢いです。
自分を中心におく
これらのヨガは、内側に深く意識を向けることに重点を置いており、ポーズも、呼吸法も、何もかも、じぶんを中心に据えて、心身の状態に合わせて選びとることを大切にしています。
そこでヨガをしていると、他人は気にならず、深く内側に集中できます。自分が今どういう状態かを知り、それに合わせて道具をセットしたり、動きや回数を選ぶなど、自分との対話が自然にはじまるのです。
何かを足そうと頑張るのでもなく、変わるために苦しい挑戦をするのでもありません。
ただ心地よく、あなたにとって、自然でやりやすい方法を選んでいけば、楽に、よりよくなっていきます。内からの反応に従うだけで、変容は自動的に起こるのです。
“ 準備ができたら、
結果は向こうからやってくる ”
という言葉がありますが、本当にその通りです。
それは、ただ信頼して、待つという姿勢であり、期待や執着から解放され、結果に拘らず、起こる全てが良きことだと理解している状態です。
だからこそ、素直に、淡々と、前に進むことができます。
ゴールに辿り着いたときこそ至福の喜びに満たされるのかもしれませんが、それまでの道のりそのものが、すでに喜びに満ちていて、心地よさの連続であり、自身を愛して、大切にするプロセスそのものだからこそ、安心して進み続けられるのです。
感覚を育てるヨガ
とはいえ、人間というものは、迷い、恐れ、不安し、葛藤するものです。
生まれた瞬間から、わたし達は、多くのことを自動的に受け入れながら成長してきました。それらの刷り込みが、身を守る術になることもあれば、自身を縛り抑圧する場合もあります。
一方で、人は変化し続けるものです。変化するために、思い込みを手放す必要があると分かっていても、その所在を明らかにすることすら困難です。
では、何を手がかりにすれば良いのでしょう?
わたしが、手がかりとして最も信頼しているのは「感覚」です。それは、「心の声」「体の声」ともいえます。
「胸が痛む」「頭が重い」「腑(はらわた)が煮えくり返る」といった表現があるように、肉体は内側で起こっていることを反応として伝えてくれます。
ちょっとした違和感にイライラしたり、好き・嫌い、喜び・怒りなどの感情によって、体が弾むように軽く感じられることもあれば、こわばりや重だるさを覚えるなども、体や心の声です。
ところで、思い込みを手放すタイミングが来ている時、「違和感」として感覚が教えてくれるのを感じたことはありませんか?
「あれ、いままでとは違う感じがする。いつも通りにやっているのに、なんだか楽しくないな。モヤモヤ、、、。」みたいな経験が、誰にでもあるのではないでしょうか。
その感覚を手がかりに掘り下げていくと、「本当は何を望んでいるか」が見えてきます。
通常、多くの人が、感覚に従うよりも思考に従って生きているので、意識的に、感覚力を磨く必要があります。
そこで役に立つのが、ヨガや瞑想といった内側に意識を向ける訓練です。
わたしの教えているヨガでは、
ポーズの合間に、感覚に意識を向ける時間をとります。目を閉じて、体の状態、呼吸の状態、心は何を感じているか、今この瞬間に起こっていることや、微細な変化を感じてもらいます。
一瞬一瞬で、感覚は変わります。
常に、人の心・体・エネルギーは動いています。また、ポーズや呼吸を、どのように、どの順番で行なったかによっても、結果は変わりますし、同じ動きをしたとしても、人により、得られる効果や感じ方が異なります。
ですから、「あなたにとって、どうなのか?」をよく感じてみてください。
どんな小さな気づきでも構いません。何も感じられなくても大丈夫です。意識を向けることそのものが練習になります。
こうしてみると、他人と同じであろうとすることや、比較・競争をすることが、何の意味も成さないことがよくわかると思います。
意識的に感じる練習には
感覚を養うだけではない、多くの恩恵があります。
✔︎ 目を閉じれば、意識の70%が内側に集中します。
✔︎ 呼吸に意識を向けることは瞑想の入口であり、継続的な瞑想の習慣は、脳の基質的な変化をもたらします。
✔︎ 肉体の左右差や細かな感覚に意識を向けることは、脳神経の回路を育て、神経システムの機能的向上を促します。
✔︎ 神経システムの機能向上は、生理的機能を調整し、恒常性を最適化します。
また、わたしの教えているヨガでは、ゆっくりとしたシンプルな動きを基本とし、ポーズ・呼吸法・瞑想・ヨガ哲学・マントラなど、ヨガの全ての要素を統合して実践します。
ポーズだけに偏らないヨガであり、回復~再生への一連のプロセスを、プログラムの中で体験できます。
これは、無理・努力・痛みとは無縁のヨガです。全ての要素が、自身との対話であり、気づきをもたらし、回復を促します。
まさに、ヨガはワンネス(一体感)へ向かうプロセスであることを体感していただける、自信を持って届けられるプログラムです。
もうひとつの逆境
さて、わたしの理想が形になり始めたのが、2018年の夏のこと。「さぁ、伝えていくぞ!」と思った矢先の2019年、思いもよらぬ体調不良に足止めをくらいます。
2019年6月、香害(高残香性製品が原因で引き起こされる健康被害)により、化学物質過敏症状を発症します。
発端は、2018年の終わり頃から、当時、最も多くレッスンを受け持っていたスタジオで、香りの強い柔軟剤が使用されていたこと、常連の生徒さんが柔軟剤のヘビーユーザーだったこと、そして、自宅近隣の家々で一斉に柔軟剤を使い始めたことから、職場も、自宅も、安心して呼吸できない環境になりました。
長らく暴露し続けた末に、体が耐えきれなくなったのでしょう。これほど身体が不自由になり、長期に渡る体調不良を経験したのは、人生で初めてのことでした。
当時は化学物質過敏症に関する情報がほとんど出回っていなかったため、症状の原因を裏付ける情報や防衛のための対策、体調不良を改善する情報を、朝から晩まで、延々と検索する日々でした。
衣類に付着した化学物質を除去する方法ひとつをとっても、手探りで実験を繰り返すしかありません。洗濯や部屋の掃除に毎日何時間も費やし、疲労とストレスで症状が悪化するという、どうしようもない悪循環に苦しみました。
変革への挑戦
ようやく自宅の環境を整備し、ストレスを溜めない思考に切り替えられたのは2020年の秋。
仕事環境を大きく変えざるを得ず、スタジオやイベントの活動を縮小し、今後どう活動を継続していくか途方に暮れていました。
同時に、コロナの影響で、スタジオが一時閉館したこともあり、オンライン化が促進される流れに背中を押されて、オンラインでの活動をスタートさせました。
また、ヨガ講師として外で働くことができなくても、環境や健康に配慮した暮らしの経験や知識を共有することで、健康も地球も守りたいと願う方々のお役に立てるかもしれないと、ライブ配信やブログ、SNSで発信する活動もはじめました。
そして、2021年。たとえ、ヨガ講師としての道が閉ざされたとしても、わたしにできることをやり続けるという強い意志が功を成して、自身の体質改善のために甲田式食事法を実践するに至ります。
化学物質過敏症状を発症してすぐ、情報を集めては取捨選択し、食品、栄養、日用品、生活リズムなど、あらゆる面で見直しました。
これまでも、健康への意識が高く、できるだけ厳選してきたつもりでしたが、表面的な情報に惑わされたり、甘い基準で容認していたことを認識し、徹底的に、中途半端なものは排除して、少しずつ体調は安定してきていました。
それでも、炎症反応だけは、なかなか改善できず、どうしたものかと途方に暮れていたところ、友人から教えてもらった森鍼灸院で、整体法と食事法に出逢うことになったのです。
2021年4月17日から、玄米・塩・梅干し・水だけの食事法を実践し、早くも3ヶ月が経ちました。体調はみるみる改善し、なかなか回復しなかった喉の炎症も、痛みが緩和するまでになりました。
かつて学んでいたアーユルヴェーダの知識やマッサージの技術も役に立ち、食事法を実践しながら、変化する体と、安心してつき合うことができています。
” 強み ” に気づく
有り難いことに、この経験は、わたしの「好き」と「強み」を教えてくれました。
それは、
✔︎ 健康の基盤になる「食・暮らし・生活リズム」を整え
✔︎ 自然治癒力を高めて、本来の力を最大限に引き出し
✔︎ 個々の体質・症状に合わせた実践をサポートすること
そういえば、物心ついた頃から理由もなく好きだったことや自然にできることといえば…
♢ スパイスやハーブを使った料理
♢ 砂糖を極力つかわないお菓子づくり
♢ 薬草、精油の活用
♢ 指圧、マッサージ、ストレッチ
♢ 内臓に蓄積した感情エネルギーの解放
♢ 伝統保存食づくり
♢ 症状を緩和する食材・栄養の知識
♢ 自然素材・自然栽培の野菜の知識
♢ 有害物質・食品の知識
これらは、すべて「心地よく健康を育む暮らし」に関連することだったのです。
別の表現をするならば、「薬に頼らない、根本から整える予防医学」といえるかもしれません。
これら全ての知識と経験を総動員して、あなたの理想を叶えるサポートをすることにしました。
~愛されヨーコの満たされヨガ~
暮らしまるごと
⌘ じぶんリズム ⌘ で生きる方法
パーソナル継続サポートの誕生です。
空気のような才能を生かす
2021年 夏が終わる頃、新たな贈り物が届けられました。
わたしに本来備わる力を生かし、ただそこにいるだけで人に喜ばれる。
そんなサービスの形があるような気がして、心からそれを見つけたいと願っていたときです。
ある日、お互いの自分史を話すワークを仲間としていて、これまでほとんど人に話したことのない人生経験を打ち明けました。
そのとき、胸の辺りでバーーーッン!!と破裂音がして、
「あなたの中にあるそれを、
社会や人々に伝えていかなくて
どうするのーーー!!?」
と大声で叫ぶ声が聴こえたのです。
わたしはずっと、「それ」が何かを探し続けていたので、
「だから『それ』って
なんのことか知りたいんだよ!
いい加減、教えてよ!!」
と言い返しました。
声からの返事はありませんでしたが、ただ ボロボロと涙が溢れていました。
感情はなく、ただ涙が流れていただけに感じていましたが、仲間たちは「喜んでいるみたい」と言ってくれました。
どうやら魂が喜んでいたようです。
わたしは、自然に導かれていくだろうと信頼して待つことにしました。
その後、不思議な流れがあり、『魂の喜びにつなぐ〜魅力発掘セッション』が誕生しました。
このセッションでは、人生ストーリーを語っていただきながら、自分軸や届けていきたい想いを明確にし、命の根源のエネルギーにつながり直します。
セッションを受けた方々は、スッキリとした晴れやかな表情になり、エネルギーが循環しはじめます。
すると、本来もっているパワーや喜びが自然に満ち溢れ、本当の願いに向かって、軽やかに行動を起こしていかれます。
経験して、じぶんを知る
いかがでしたか?
こうして振り返ると、手探りながらも、勘を頼りに、導かれるようにして、ここまで歩いてきたように思います。
そのときどきの「やりたい」を体験し、感じたことをたぐり寄せては、さらに深く、じぶんを知る。
そんな生き方が、わたしの人生なのだと、改めて気づかされます。
やりたいことが見えたら、できるかどうかは置いておいて、とりあえずやってみる。すると、ちゃんと扉は開かれていきました。
決して、完璧ではなかったけれど、経験したからこそ、次の道を選んでこられたように思います。
これまで、失敗も、残念な経験も、悲しい別れも、様々にありました。けれど、人に恵まれ、助けられ、支えられながら、ここまでやってくることができました。
わたしの夢
わたしには、理想の世界のイメージがあります。
すべての人々が、地球とのつながりを思い出し、自然の再生し循環する力を守り、地球を愛し、平安を祈ることが、人類の役割として大切に受け継がれていく世界。
わたし達は、死ねば、母なる大地に還ります。
人間も、自然の一部であり、自然と同じメカニズムをもって生きています。
体内では、細胞は死と再生を繰り返し、水や血液が循環しています。
社会も、成長と衰退をくり返し、経済が循環しています。
わたし達は、全体の一部であり、この地球・宇宙を構成する一員です。
ひとりひとりが輝けば、この地球も輝きます。
ひとりひとりが、じぶんを大切にすることは、この地球を大切にすることと同じです。
ひとりひとりが、健やかに、愛を放てば、この地球も健やかになり、愛が満ちます。
それぞれが、もって生まれたギフトを輝かせて、多彩な光で満ちた美しい地球を守っていけますように。
まずはわたしから、
できることをはじめよう。
Lokah Samastah Sukhino Bhavantu.
生きとし生けるすべての存在が
幸福で自由でありますように。
そして、私の人生における
思考、言葉、行動が
全ての存在の幸福と自由に
貢献できますように。
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